東日本大震災から7ヶ月が経過しました。この間、巷の書店には原発関係の書籍がずいぶん並ぶようになりました。愉快ではないかもしれませんが、話題の本を置くのは書店の役割でもありますし、科学離れが懸念されている中で、こういった事柄に関心が集まるのはいい事かもしれません。
しかし、並んでいる書籍を見ると一様に『反原発』ばかりで、バランスが良くないのはどうかと思っています。原発を推進するような本は出版しにくいのか、書店側が避けているのかわかりませんが、見かけることがありません。
ところで、こういった原発に関する文章を雑誌に載せたり、書籍を出版したりする方々というのは、原子力の専門家、評論家、文化人、ジャーナリストなどがホトンドのようです。最近思ったのですが、こういった方々に共通するものとして『モノづくりの経験が無い』ということがあるようです。
原子力の専門家というのは、原子力そのものには詳しいのですが、それで得られるエネルギーを利用してモノを造った経験は無いと思います。評論家、文化人、ジャーナリストなどは言わずもがなです。
なぜ私が『モノづくりの経験』にこだわるかというと、反原発を唱える方たちが『原発が無くとも電気は足りる』と話す場合があるからです。電気は足りると云われても、あまり説得力がありません。一般家庭の節電の話をしたり、太陽光や風力発電を普及させるとか、自家発電や蓄電設備の設置の話で終わってしまいます。
一般家庭の節電はわかりますが、他の再生可能エネルギーによる発電や自家発電などの話の場合には、その実現性について実感が湧きません。いったい誰がどのように設置し、その電気を誰が使うのか、その説明がありません。やはり、モノづくりの経験が無いため、そのことまで想像できないのかもしれません。
さて、こういった反原発を唱える方の中にマンガ家の小林よしのり氏がいます。放射能被害や国防の立場から原発が攻撃の対象になることを恐れてのことだけで反原発ならばいいのですが、彼は雑誌へ掲載しているマンガに『電気は足りている』と主張します。
今夏は、一般家庭や企業の節電努力により、停電することもなく乗り切ることができましたが、そのことで『電気は十分間に合った』としてしまっています。今夏、停電することなく乗り切ることができたのは、一般家庭の自主節電の努力もありますが、節電義務を課せられた企業の努力が大きいのです。東電管轄ではピーク時15%の節電を強要されています。
小林氏は企業の節電努力はせいぜいエアコンの設定温度を上げただけのように描写しています。しかも節電によってコスト削減が実感でき、喜んでいるような表現です。しかし、電気を大量に使う製造業では、土日に工場を稼働させ、平日を休みにしたり、複数ある製造ラインの1つを休止させ、その分残業したり交代勤務を実施してなんとか生産量を確保したりといった努力をしています。しかし、こうした描写は一切していません。節電によって電力のコスト削減はしたかもしれませんが、人件費増で逆に製造コストは増加したと思います。
また、一方では『電気料金は企業のコスト全体からすれば微々たるものに過ぎない』と描いています。本当かどうかはともかく、そうなると、節電によるコスト削減も微々たるものとなってしまうため、企業としてはそれほど喜ぶことではないことになります。つまり表現に矛盾があります。
大企業の工場では、自家発電設備の設置は結構進んでいます。もちろん自工場で使うためです。小林氏の云う通り、大企業による自家発電設備の新設や増強により、原発に頼らずとも電力量を賄うことは可能かもしれませんが『安定的な電力の供給責任』を突きつけられると、電力の融通に躊躇する企業も出てくるのではないでしょうか。工場には生産の供給責任というものがあるのですが、電力会社にも本来電力の供給責任があるのです。大企業は自社の電力確保だけの自家発電に留め、電力融通に応じるところは少ないかもしれません。
では、『中小企業も自家発電を持つのか』ということになります。自家発電設備はパッケージで販売やレンタルされており、比較的簡単に導入できます。資金さえあれば導入は可能かもしれませんが、別の問題があります。その自家発電設備の置き場所。つまり土地の確保が必要になります。
中小企業は住宅地に隣接している場合も多く、土地の確保が難しい場合があります。また、安定的に稼働させるため、ある程度の燃料を貯蔵することも考えなければなりませんが、消防法の規制により、しっかりした貯蔵設備が必要です。それには資金が必要ですし、何より土地が必要です。中小企業の自家発電はあまり普及しないと思います。
最後に...原発に替わる電力量確保についていくら論じても結構ですが、実現性の検証をしないのであれば、いくら立派なことを云われても企業はついてきません。電力を確保するためにどんな手法が提案されるとしても『安定的な電力供給』ということは絶対に担保されなければなりません。そうしなければ、経済的な成長どころか維持すら難しくなります。その上でエネルギーをどうするか考える必要があります。机上の議論はそろそろ止めて、実現可能な手段に絞る段階にきています。
by 川流
マスコミの劣化